オードリー若林、オアシズの「あっち側」「こっち側」 『あちこちオードリー』『午前0時の森』

文=西森路代
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6月28日

 『あちこちオードリー』 (テレビ東京)のゲストは、オアシズのふたり。カナダのバンクーバーに留学に行っている光浦靖子さんが、夏休みで一時帰国しているということで、コンビで出演していたのだった。光浦さんは、留学以降でも自分に関心を持って読んでくれるのは「大竹まことさん以外で」は、この番組くらいと語っていた。

 MCのオードリーにしても、光浦さんにしても、長年「自意識」の強い芸人というイメージがあった。若林さんに関して言えば、最終回を迎えたばかりのドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ)でも、自意識とどうつきあっていくかがテーマのひとつになっていた。恥ずかしくて「パスタ」と言えなかった劇中の若林(高橋海人が演じている)が、長年少し関係がぎくしゃくしていた父親が病気になってからは、コミュニケーションがスムーズにとれるようになり、共に外食にいった際に自然と「パスタ」と言えるようになっていたシーンもあった。こうした自意識との付き合い方は、実際に若林のエッセイなどにも書かれていることである。

 ただ、長年「こっち側」(自意識が強く、細かいことが気になる繊細さを持っている側とでも言えばいいだろうか、番組では「小心者で色々考えちゃう」と説明されていた)でいた人が、急に「あっち側」にいくわけではない。今も自意識とつきあいながら、生きているのだろうと思う。

 こうした「こっち側」「あっち側」という話は、若林がMCを務める『午前0時の森』(日本テレビ)で、「おかえり、こっち側の集い」という企画がスタートし、引き続き議論されているところである。

 オアシズが出演した『あちこちオードリー』も、カナダに行って変化していく光浦さんと「あっち側」と「こっち側」の話をする内容であった。

 光浦さんと言えば、金髪メッシュにしてボルダリングを楽しむ姿などがネットニュースで話題となり、着々と「あっち側」に行っているイメージがあった。今回の『あちこちオードリー』を見ると、そこまで単純ではないとはいえ、日本にいたときに感じていた閉塞感からは解放されている様子が見て取れた。

 特に、若林が「やっぱ、明るくなったんですか? みんなが寄ってくるぶん」と尋ねると、光浦は「みなさんの需要によって“クソババア”になってましたけど、人間って多面性があって、ここは(と言いながら手で円グラフの数パーセントを説明しながら)決して私がやってたキャラクターは嘘じゃないけど、これをギューッと80%に引き伸ばしてた感じがして。クソババアはいまだにあるよ、学校でケンカばっかしてるから。(でも、いまは)ギューッと40%くらいになって、(残りの)60%くらいが、別の自分の今まで長いこと閉じていた人格が、なんかちょっと広がったのかなって」と言っていた。見ていた自分まで、なにか開かれたような気持ちになった。

 若林が「仕事で求められたキャラの部分がプライベートで侵食してるのかもしれないですね、お笑いの世界のキャラって」と言うと、大久保も「テレビで、サービス精神できつい言葉を言う、ソレの方の時間が長くなってきてるから、それを言うほうのが私になってきてる気がする、怖い」と言うと、光浦が「早く、カナダに来なさい」と言って笑いになっていた。

 また若林は、クイズ番組で新人アイドルが不正解したときに、強めに行って人笑いが起こせる人は大久保さんしかおらず、それを大久保にふっている時点で自分がそれを言わせている、という趣旨の話をしていた。大久保が「モンスターだ! 返して!」「欲しがってる」と返していてすごく笑えたのだが、この部分のドライブ感というのが、昨今のテレビではなかなか見られない貴重なものであったと思う。

 このやりとりで受けたことを私なりに簡潔に書くと、テレビでは(その影響で一般人にもそのような感覚はもちろんあるだろう)、番組や場の空気が求めるものにあわせて自身のキャラクターを増幅して演じることがある。しかし、それは自己責任でやっているだけではなく、番組のMCが、期待してキャラを増幅させようとしてきたことがある。それを若林自身もその場で自省しているということだと思う。

 光浦さんはカナダに行ったことで、自分以外の誰かが期待する面白さや空気のために、どちらかというと悪いほうのキャラクターを増幅する必要はないと気づけたことを語っていた。私が番組を見て解放された気分になったのは、光浦さんの話を聞いて「ああ、自分もそんなことはしなくていいんだ」と思えたからかもしれない。

 また、その光浦さんの話を聞いた若林さんや大久保さんが、私と同じように、「キャラに縛られる必要はない」と気づき、若林さんの場合は、「自分はキャラを演じることを助長していたかもしれない」と即座に自省している、その回転の速さというか、すぐに会話が通じる感じに安心したこともあるのかもしれない。

 「会話が通じる」ということは、私にとっては、もっとも「こっち側」だと感じられる要素のような気がする。

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