繰り返されてきた性教育バッシングの歴史を知る 『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)はじめに

文=wezzy編集部
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堀川修平『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)

 7月24日に『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)の刊行を記念して、著者の堀川修平さん、ライターの松岡宗嗣さんによるオンラインイベント「性教育から考えるバッシングの過去・現在」を開催いたしました。ただいまアーカイブ、書籍付きアーカイブ、書籍のみの三種類を販売中です。

【アーカイブ】松岡宗嗣×堀川修平「性教育から考えるバッシングの過去・現在 『「日本に性教育はなかった」と言う前に』刊行記念」

 2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃事件に遭い亡くなられたことをきっかけに、90年代後半から始まった「バックラッシュ」がにわかに注目されました。バックラッ…

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繰り返されてきた性教育バッシングの歴史を知る 『「日本に性教育はなかった」と言う前に』(柏書房)はじめにの画像2 ウェジー 2023.07.24

 wezzyではこれまで、2000年代前後に起きた「バックラッシュ」や、性教育に関する記事・イベントを発信してまいりましたが、日本で繰り返し起きてきた性教育バッシングに注目した発信はできずにおりました。

 より多くの方に本書、そしてこれら問題をお届けするために、堀川さん、柏書房さんから許可をいただいた上で、『「日本に性教育はなかった」と言う前に』のうち「はじめに」の部分を転載いたしました。ぜひお読みの上で、本書やイベントアーカイブをお買い求めください。

はじめに

 ――「性教育の空白期間」

 そんな言葉を聞いて、あなたはどのような時期を、あるいは出来事を、思い浮かべるでしょうか。

 私自身は、性教育実践の歴史研究者として、ジェンダー・セクシュアリティに関わる社会運動の研究者として、そして、性教育運動に関わる一運動家として、大学や市民向け講座で、さまざまな特徴を持つ人と「性と教育」について学ぶ機会を得ています。

 二〇一八年以降の日本において、性教育についての関心が再度高まっています。それもあってか、私の受け持つ講座の受講者のなかにも、性教育について学びたいという方が増えてきたように感じています。それは、一研究者、そして運動家として、とてもうれしいことです。なぜなら、社会を変えるためには、私たち人間が変わっていく必要があるからです。社会は人間の集まりなので、社会をつくる人びとが変わっていくことが、とてつもなく時間がかかり、遅いように見えて、実は早道だったりするわけです。

 私が大学教育に、教育者側に立って関わり始めたのは二〇一四年ですが、そのころの講義では、性教育や「L‌G‌B‌T(Q‌+)」と呼ばれる性的マイノリティについての関心はそれほど高くありませんでした。大教室に集まる一〇〇名ほどの学生に「L‌G‌B‌Tという言葉は聞いたことがありますか?」と聞いても、一〇名手があがるかどうか、という感じでした。

 しかし、それからまだ一〇年も経っていない現在、同じような規模の講義で同じような質問をすると、一〇〇名中九〇名ほどが「知っている」と手をあげます。もちろん、何をもって「知っている」と答えているのかは、学生によってグラデーションがあるでしょうし、質問をする対象や大学、学部の違いもあるので完全な比較もできません。しかし、同時代を生きる人びとの認識が、一〇年も経たずに大きく変化していることに、私自身も大きく驚くばかりです。そう、社会が変わる、人びとの認識が変わるのは、それほど難しいことではないのかもしれません。

 さて、冒頭の「性教育の空白期間」という言葉。

 この言葉は、学生や市民講座に参加される方が口々におっしゃることを、私なりに一言でまとめたものです。実際にこの言葉を使ってメッセージを伝えてくる方もいらっしゃいますし、次のような言葉で思いを伝えてくる方もいます。

「日本は、ジェンダー平等が遅れている。昔から性教育が実践されていれば、ジェンダー平等な国になったはずなのに」「性教育が実践されてこなかったことが悔しいです」「性教育に取り組まず、関心を持ってこなかった教師たちに失望しています」。

 それぞれの方が伝えたいことは、わかります。ですが、ちょっと立ち止まって考えてみたいのです。本当に性教育は「実践されてこなかった」のでしょうか?

 答えを先取りすると、そんなことはありません。日本においても昔から着実に性教育は進められてきましたし、その担い手として教師たちが性教育をしてきた事実があります。それでは、なぜそのような事実が周知されていないのでしょうか。あるいは、なぜ「性教育は実践されてこなかった」というような誤認がなされてしまっているのでしょうか。

 その答えの一つとして、日本の「性教育バッシング」が影響を与えている/与えてきた、ということがあげられるのです。「バッシング」(bashing)とは、単なる非難を指すのではなく、根も葉もない、噓八百なデマを巧妙に用いながらなされる「論難」のことを指します。「打ちのめす」という意味もある言葉ですが、まさに日本において、性教育実践、そして性教育実践の担い手である教師たちは、バッシングされてきたという事実があります。

 性教育バッシングは日本において二〇〇〇年初頭からおこなわれていた、という認識は、これまでよく語られてきたことです。同時代には、男女共同参画に関わって「ジェンダー・バックラッシュ」「ジェンダー・フリー・バッシング」も起きていましたし、バッシングを積極的におこなっていたのと同じメンバーが、日本軍「慰安婦」(あるいは「従軍慰安婦」)と呼ばれる「日本軍性奴隷」に関する歴史記述ついての批判を「新しい歴史をつくる」と表しておこなってもいました。

 さて、先の「性教育は実践されてこなかった」というようなコメントが、この一年で増えたように感じます。その背景には、二〇二二年七月八日に起こった安倍晋三銃撃事件と一連の報道があるのではないか、と私は考えています。

 報道でも、安倍さんが旧統一協会(現:世界平和統一家庭連合。旧略称は統一協会とも)と蜜月関係にあったことは繰り返し取り上げられましたし、そのなかで、旧統一協会によって性教育バッシングがあったことも複数取り扱われました。とりわけ、二〇〇三年に起こった「七生養護学校性教育事件」は、その文脈で再注目されたのではないでしょうか。

 この二〇〇三年の事件から、早二〇年が経とうとしています。ですから、大学生のなかには、この事件自体を知らないという方も多くいますし、その当時すでに生まれていたとしても、詳しくは知らない、顚末も知らない、という方は少なくありません。

 そして、実は、性教育バッシング自体は、二〇〇〇年代のバッシング以前、つまり一九九〇年代初頭からもおこなわれていたことは、もっと知られていないし、これまであまり着目されてこなかったことです。さらに、もう一歩踏み込むと、一九八〇年代後半からなされていた「性の多様性」に関わる教育実践も、性教育バッシングによって、中断をやむを得ない状況に追い込まれていました。そのことも、いまとなっては、ほとんど知られていません。

 むしろ、多くの方にとって、「L‌G‌B‌T」にも関わる性の多様性に関する教育実践が、三〇年以上も前にすでにおこなわれていたということは、驚きの事実ではないでしょうか。私自身、性教育実践の歴史研究者として、そしてジェンダー・セクシュアリティに関わる社会運動の研究者として活動していると冒頭に書きましたが、そのような研究のなかで描き出したのが、一九八〇年代後半から始まる、日本における「性の多様性」教育実践の歴史でした(詳しくは、前著『気づく 立ちあがる 育てる――日本の性教育史におけるクィアペダゴジー』二〇二二年をご覧ください)。

 性の多様性とは、異性愛者や、出生時に割り当てられた性別に違和感を持たない「シスジェンダー」と呼ばれる人びとも含め、人間の性が多様であること、そして、性別自体が「性自認・性同一性(gender identity)」や「性的指向」、「表現の性」など多層に分けられることを表した言葉です【注1】。このような性の多様性に着目し、学校教育現場において、異性愛者やシスジェンダーと自認しない子どもたちも含めて生きやすいように条件整備をしたり、授業や生活指導のあり方を検討したりする教育実践を、「クィアペダゴジー」(queer pedagogy)と呼びます。先に触れたとおり、いまよりも三〇年以上前には、主に異性愛(者)の権力性に着目して、クィアペダゴジーは実践されていました。そして、このクィアペダゴジーの蓄積を中断させたのが、性教育バッシングだったのです。

 もし、このようなバッシングがなければ――歴史に「もし」は禁物かもしれませんが――学校自体が、いまよりもさまざまな特徴を持つ子どもたちにとって生きやすい環境になっていたかもしれません。しかし、そうなっていないことは、今日の状況からも明らかです。

 だからこそ、といっていいのかもしれませんが、現在では日本各地で、学校外における性的マイノリティの子どもたちの居場所を確保する取り組みがなされてきています。実際、そうした居場所は切実に必要とされています。

 日本で二〇〇九年から活動している、性的マイノリティの子どもや教育に関わるN‌P‌O法人ReBitが、二〇二二年九月に調査した『L‌G‌B‌T‌Q子ども・若者調査二〇二二』(有効回答二六二三名)を見てみましょう。

 「普段からセクシュアリティについて安心して話せる相手や場所がない」と回答した一〇代のL‌G‌B‌T‌Qは四七・二%、二〇代は三六・九%、三〇代は三二・九%であるといいます。そして、普段からセクシュアリティについて安心して相談できる場所が「ある」群と「ない」群を比較すると、相談できる場所が「ある」群は、自殺念慮が一二・二ポイント、自殺未遂が二・二ポイント、自傷行為が八・〇ポイント下がるという結果が出ています。

 そもそも、一〇代のL‌G‌B‌T‌Qは、過去一年に四八・一%が自殺念慮、一四・〇%が自殺未遂、三八・一%が自傷行為を経験したと回答しています。つまり、セクシュアリティについて安心して相談できる場所があることが、L‌G‌B‌T‌Qユースの自殺対策につながるということです【注2】。

 このように、性的マイノリティの子どもたちにとって安心できる居場所の需要は高いにもかかわらず、本書で見ていくように、居場所づくりに関わる団体やスタッフが新たなバッシングの対象となっています。そして、そうした居場所に寄せられるバッシングを目の当たりにする子どもたちが、あとを絶ちません。

 このような状況があること自体、ご存じない方も多いかもしれません。それでは、そんな事実を知った私たちは、私、そして読者のみなさんを含むあらゆるジェンダー・セクシュアリティの人びとのために、とりわけ子どもたちの居場所をつくるために、何ができるのでしょうか。

 その一つとして、まず、これまでの状況の把握は必須です。特に、バッシングをする人たちがどのようにバッシングを展開してきたのか。性教育バッシングと性的マイノリティの子どもたちの居場所へのバッシングには、通底している点がありますので、バッシングする人たちのねらいと行動をおさえる必要があります。

 また、それと同時に、バッシングに立ち向かう/立ち向かってきた人たちの存在を消すわけにはいきません。たやすく「性教育はなかった」と言ってしまうことこそ、バッシングをする人たちの思うつぼである。そのことは何度も確認していくことになるでしょう。

 本書では、私たちの、そして次の世代を生きる人たちのために、性と教育に関わる活動へのバッシングに立ち向かうための「エッセンス」を、実際に歴史を振り返りながら、さらには今日の状況と往還しながら、抽出していきたいと考えています。

1 堀川修平「性の多様性――L‌G‌B‌TとS‌O‌G‌I‌E」『季刊セクシュアリティ』一〇三号、エイデル研究所、二〇二一年、三八‐三九頁などを参照ください。なお、「身体的特徴」に関わる点も、「男女」と二分できるわけではないことをおさえておきましょう
2 認定N‌P‌O法人ReBit「【速報】L‌G‌B‌T‌Qへのいじめをなくす「SpiritDay」にL‌G‌B‌T‌Q子ども・若者調査の結果を公開」二〇二二年一〇月二四日(https://rebitlgbt.org/news/9264)。P‌R‌ ‌T‌I‌M‌E‌S「【調査速報】10代L‌G‌B‌T‌Qの48‌%が自殺念慮、14‌%が自殺未遂を過去一年で経験。全国調査と比較し、高校生の不登校経験は10倍にも。しかし、9割超が教職員・保護者に安心して相談できていない。」二〇二二年一〇月二〇日(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000031.000047512.html

『「日本に性教育はなかった」と言う前に』刊行記念イベントのアーカイブ販売中

 堀川修平さん『「日本に性教育はなかった」と言う前に』の刊行を記念して、堀川さん、松岡宗嗣さんによるトークイベントを開催しました。

 本イベントのアーカイブを8月23日まで販売しています。アーカイブのみは990円(税込)、書籍+アーカイブは2500円(税込、送料無料、枚数限定)で販売中。さらに、『「日本に性教育はなかった」と言う前に』のみの販売も行っています(送料無料、冊数限定)。詳細は、下記のリンクよりご確認ください。

【アーカイブ】松岡宗嗣×堀川修平「性教育から考えるバッシングの過去・現在 『「日本に性教育はなかった」と言う前に』刊行記念」

 2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃事件に遭い亡くなられたことをきっかけに、90年代後半から始まった「バックラッシュ」がにわかに注目されました。バックラッ…

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堀川修平
1990年、北海道江別市生まれ。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は、日本の性教育実践と実践者の歴史・性的マイノリティ運動の歴史。埼玉大学、立教大学ほか非常勤講師。一般社団法人”人間と性”教育研究協議会幹事。主な論文として、「日本のセクシュアル・マイノリティ運動の変遷からみる運動の今日的課題―デモとしての『パレード』から祭りとしての『パレード』へ―」(日本女性学会『女性学』23号、2015年)、「”人間と性”教育研究協議会における性の多様性に関する実践史―教育者の同性愛観に着目して―」(同時代史学会『同時代史研究』11号、2018年)。著書に『気づく 立ちあがる 育てる――日本の性教育史におけるクィアペダゴジー』(エイデル研究所、2022年)。

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