ニューヨークに押し寄せる難民〜選挙のために利用する政治家たち

文=堂本かおる
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Gettyimagesより

 9月15日、ニューヨーク市マンハッタンにあるルーズベルト・ホテルの前に難民排斥派が集まり、「国境を閉めろ!」「(難民を)送り返せ!」「違法移民!」などと叫んだ。

 今、ルーズベルト・ホテルは難民の到着受付センター兼シェルターとなっており、入り切れない人々がホテル前の歩道にダンボールを敷いて寝起きする風景が頻繁に報道されている。

 15日はそのホテル入り口でニューヨーク選出の下院議員、AOCことアレクサンドリア・オカシオ=コルテスなど10名ほどの民主党議員が記者会見を開いたのだった。その議員たちに向かって、少人数だが過激な保守派市民が「アメリカ・ファースト」などと書かれたプラカードを手に怒声を浴びせ、警備員と揉み合う一幕もあった。

マンハッタンのホテル前で記者会見を開く議員と難民反対派

「難民問題はニューヨーク市を破壊する」

 ニューヨーク市には昨年の春から難民が大量流入し続け、その数は現在11万人を超えている。同市には「家を持たない人に避難所を提供する」という条例があり、市行政はとにもかくにも寝起きする場所(シェルター)、付随して衣食、医療、子供への教育を提供しなくてならない。さらに亡命申請、米国内で正規に働ける労働許可証の申請を支援するケースワーカーや弁護士も手配する必要がある。

 ニューヨーク市長のエリック・アダムスは、かねてよりジョー・バイデン大統領とニューヨーク州知事キャシー・ホークルに特別予算支援と、労働許可証の迅速な発行を依頼し続けてきた。

 しかし、バイデン大統領は来年の大統領選での再選を目指していることから諸手をあげて難民支援策を打ち出すわけにいかない。州知事も当初は様子見の状態で支援を承諾しなかった。

 これに苛立った市長は、先日ついに「この問題はニューヨーク市を破壊する」と発言。市長は難民流入が始まった昨春からの3年間で市の予算が120億ドル不足すると見積もっており、その分、市の通常予算を大幅カットせざるを得ず、市民生活に大きな支障が出るとしている。

 市長の爆弾発言を、移民やホームレスの支援団体は「(難民反対派から)難民への暴力を招く恐れがある」と憂慮している。

 また、同じ民主党である市長、州知事、大統領がお互いを批判、牽制し合っていることから、共和党はバイデン大統領のリーダーシップの欠如を指摘し始めている。

政治に翻弄される難民

 ニューヨーク市の難民急増は、そもそもは共和党の政治家の作為による。

 メキシコとの国境に接するテキサス州は、昔から国境を超えてやってくる移民に常に悩まされてきた。

 そのテキサス州のグレッグ・アボット知事は昨年4月、自州にたどり着いた難民たちをバスに乗せ、予告なく首都ワシントンD.C.で降ろすという奇策に出た。続いて5月にはバスをニューヨーク市に向かわせた。以後、ロスアンジェルス、シカゴ、デンバー、フィラデルフィアにも次々と難民を送り付けた。いずれも「聖域都市」と呼ばれる、ビザを持たない移民も阻害しない(*)リベラルな民主党基盤の都市だ。

 アボット知事の意図は「難民を受け入れろと口先だけの聖域都市もテキサスと同じ目に遭えばテキサスの苦労がわかるだろう」というものだが、当時、2024大統領選への立候補を検討中だったアボットの選挙用スタンドプレーでもあった。

 アボットは昨年のクリスマス当日に、バスをカマラ・ハリス副大統領の自宅前に送りつけることもしている。当時、ハリス副大統領がバイデン政権の国境移民問題の担当者だったからだが、アメリカで年間最重要の祝日であるクリスマスに、その大多数もクリスチャンである難民を路頭に放り出したのだった。しかも当日のD.C.は気温マイナス7度の寒さだった。

 また、国境には接していないフロリダ州の知事ロン・デサンティス(共和党、2024大統領選に立候補中)は昨年9月に、自州からテキサスに要員を送り込んで約50人の難民を集め、マサチューセッツ州のマーサズ・ヴィニヤード島に飛行機で運んだ。事前の告知はなく、住民は驚き、慌てて当夜のシェルターを用意した。

 マーサズ・ヴィニヤード島はクリントン元大統領一家、オバマ元大統領一家の現役時代の避暑地として知られ、この地を気に入ったオバマ家は現地に家を購入している。デサンティス知事はマーサズ・ヴィニヤード島を選んだ理由をはっきりとは語っていないが、「聖域地区で、『誰も違法移民なんかじゃない』『歓迎』の標識があるのに翌日には強制送還だ」と悪質なジョークを披露している。ちなみにデサンティスは高額な飛行機の手配代1,200万ドルの出所が違法である疑いをかけられている。

(*)聖域都市:都市により詳細は異なるが、大枠では不法滞在者を地域行政や警察が積極的に取り締まって米国市民権/移民業務局(通称:移民局)に引き渡すことをしない。また、NY市では日常生活範囲でなら使える独自の身分証明証を発行するなど。

死を招くジャングルを超えて

 メキシコ/米国間の国境を超えてやってくる難民にはメキシコ以外の出身者のほうが多い。特に今はベネズエラ人が多数を占める。政情不安に加え、ギャングによる常軌を逸した暴力が日常化し、「家族が殺された」「このままでは自分と残りの家族も殺されるかもしれない」といった環境から脱出するためだ。人口2,900万のベネズエラからすでに700万人が出国しているとされている。

 他にコロンビア、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスなどベネズエラ以外の中南米諸国、カリブ海のハイチ、アフリカ諸国からの人々もいる。ハイチやアフリカ諸国からはいったん飛行機か船で南米に入り、そこからメキシコを目指す。

 南米からの人々は、中米パナマとの間に広がる深く危険なジャングルを歩き抜けなければならない。鬱蒼と茂る樹木、ぬかるみ、岩に足を取られ、頻繁に氾濫する川を溺れないように渡り、100キロを踏破するには乾季で4〜7日、雨季なら10日もかかる。ジャングルの気候を知らずにTシャツやサンダルでやってきた人々は膝まで泥に浸かり、雨に震え、苦難する。幼い子供を連れた親は、子供が病気に罹らないことを願いながら背負って歩くしかない。当然、死者も出るが、今年はすでに30万人以上が通り抜けたと報じられている。

危険なジャングルの川を歩く難民希望者

トランプ政権・バイデン政権

 こうしてメキシコとアメリカの国境にたどり着いた人々は、亡命希望者としてアメリカ側に入り、適正人物か審査の上、亡命者申請を行い、裁判を待つ。裁判までは何年もかかるため、通常は米国内で釈放され、労働許可証が発行される。

 しかし、そこに至るまでにいくつもプロセスがあり、メキシコ側での長期の待機もある。米国側に入ってからは、まずはテキサス州やアリゾナ州にある収容施設に入る。トランプ政権期、そこで強制的な親子離散が行われ、子供たちのみ全米各地の児童施設に送られたことは記憶に新しい。その間に親が強制送還され、いまだに親と再開できていない子供たちがいる。

 トランプ政権は「コロナの拡散を防ぐ」という名目で、メキシコ国境からの難民を厳しく制限する「第42条」と呼ばれる法を制定した。今年5月、コロナ禍の終焉により第42条も停止となり、亡命希望者が再度大幅に増えることが懸念された。これに対し、バイデン政権は国と人数を限定し、オンラインで申請した上で空路でアメリカに入国するケースに限って受け入れるなどの新たな規制策を発表した。

 いずれにせよ、テキサス州知事によってバスで送り込まれた難民だけでなく、ニューヨーク市には仕事がある、すでに親族や知人がいる、先述した宿の提供条例がある、などの理由により自ら希望してやってくる難民も多い。そうした人々も含めて、現在までに11.3万人となっている。

とにかく労働許可証を

 昨年、ニューヨーク市長は市内の川に浮かぶランドール島に広大なテント・シェルターを作ったが、市内中心部へのアクセスが悪く、入所希望者は皆無に近かった。ブルックリンのビーチ間際のシェルター案は、地元議員の「悪天候の際に洪水になる」の提言で中止となった。どちらも専門家への相談を行わず、独断による失策と批判された。その後、市長は既存のホテルなど200カ所をシェルターとしたが到底足りず、今月、ランドール島に悪天候にも強いテント村を再建設した。クルーズ船をシェルターとして利用する案も出している。

 市長は市内に収容しきれない難民を州内の郊外地に移す案も出したが、地元民からの強い反対が出て実現していない。リベラルな州として知られるニューヨークも市を出て北部に行けば保守的な共和党地盤の地域が多い。

 市長が助けを求めても当初は応じなかったニューヨーク州知事も、市行政がいよいよ限界に達したと知ってバイデン政権への批判を行い、次いで難民希望者への労働許可証を州の権限で発行したいと語った。難民が収入を得れば行政からの支援を減らせる。州内の農家などでは人手が足りておらず、「許可さえあればすぐにでも雇いたい」という声も出ている。

 テキサス州からニューヨーク市にやってきた11万人には就学期の子供2万人が含まれている。ニューヨーク市では9月7日に新学期が始まっており、それぞれがシェルターから通える範囲の公立学校に入学/編入しているはずだ。ニューヨーク市は人口の3割近くがラティーノであり、教職員にもスペイン語話者が少なからずいる。それでも急に増えた2万人の子供に対応できているのかは不明だ。また、ハイチやアフリカ諸国(の非英語圏)出身の子供たちは、英語を覚えるまでの期間はさらに大変だろう。

ベネズエラからやってきた母子。3人の娘たちは学校に通い始めた

苦難を超えてやってきた子供たち

 つい先日、ニューヨークのローカル・ニュースを見ていると、マンハッタンのバス・ターミナルに着いたばかりのバスから降り、待ち受けていた支援団体のメンバーからお菓子の入った袋をもらう子供たちの映像があった。きょうだいらしい3人の子供はその場ですぐに袋を開け、お互いに見せ合っていた。いかにも子供らしい、無邪気な振る舞いだ。

 その時にふと思った。この子たちは、あの恐ろしいジャングルをかいくぐってここにたどり着いたのだろうか。ベネズエラ人であるとしたら、明日にでも殺されてしまうかもしれない境遇にあり、親の決断によって祖国を捨て、ここにたどり着いたのだ。

 この子たちはもしかすると将来、祖国が落ち着きを取り戻したならば国に戻れるのかもしれない。けれどおそらく、このままアメリカに留まり、永住権や市民権がいつ取れるかはわからないものの、文化的にはアメリカ人として育っていくはずだ。分けてもここニューヨークで、ニューヨーク訛りの英語を学び、ニューヨークの風物の中で、10代ともなればニューヨークの流行にも敏感になり、ニューヨーカーとして大人になっていくのではないか。

 今、私たち大人がこの子供たちのために出来ることは、この子供たちのためにすべきことは、何なのだろうか。

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