哀悼と歴史の可能性を考える『Syberia: The World Before』をやってみた

文=近藤銀河
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 歴史を知ることの意味は人それぞれで、たくさんの理由と効果がある。

 差別について知ったり、自分に近い人を探したり、失敗や成功を学んだり、あるいは面白い物語を読みたいからであったりするかもしれない。

 歴史を知ることが持つ意味の一つに、死んだ人のことを記憶するというものがある。偉人だけでなく、まとまった資料の残っていないような人々を記憶すること。それはまた、自分や親しい誰かの生もいつか歴史になるのだ、ということを思い起こさせてくれる。

 目の前にあることでいっぱいいっぱいになり、今だけしか考えられず先のことを想像できない時に、いつかそうやって今が過去になることを考えると少しだけ気楽になれる気がする。

 そういう風に思うのはもしかすると、周りにいるマイノリティたちの苦しみが歴史の中に記述されていないことへの不安や、マイノリティが死んでいくことの身近な実感への哀しみを、常に感じているからなのかもしれない。私たちの死は、歴史を記述する機構によって無価値なものにされてしまうんだろうか? 私たちの死は、消されず残ることができるのだろうか?

 歴史を知ること、歴史を辿ることは、そうした人々への追悼であり、今を生きる人々の慰撫でもある。

 今回、紹介する『Syberia: The World Before』は、そんな歴史を探ることと死者の追悼の関係を体験できる作品だ。

アイコニックな女性主人公

 『Syberia: The World Before』はヨーロッパの架空の都市ヴァゲンを舞台に、我々の世界におけるナチスのような存在であるブラウンシャドウによる虐殺と、それに対するレジスタンスの歴史を辿るゲームだ。

 本作はポイント&クリックと呼ばれるタイプのゲームシリーズ『Syberia』の第四作目に当たる。ポイント&クリックのゲームは、気になる場所やオブジェクトを調べて、アイテムを使ったり、パズルを解いたりしていくことで進行していくゲームだ。マウスを動かしてクリックすることがゲームの基本になっていることからこの名前がついた。

 『Syberia』シリーズが描くのはレトロにも思えるデザインの自動人形が発達した世界で、スチームパンクと欧州の古典的デザインが融合した美しいグラフィックで知られている。本作のアートスタイルも極めて美しく、どの場面を切り取っても絵になる。

 またシリーズの主人公ケイト・ウォーカーは、第一作『Syberia』が発売された2002年にはまだ珍しかった女性主人公のゲームキャラクターでもある。

 彼女はゲームの中で過度に性的に扱われるわけではなく、知的な女性として描かれ、数々の謎に挑んでいく。当時はそうした女性主人公はゲームの中ではとても貴重だったし、戦うわけでもない女性主人公という点では、今でも数少ない存在かもしれない。

 シリーズ第一作の『Syberia』のラストでケイトは、弁護士としてある依頼をこなす中で横暴な婚約者や鬱陶しい家族と別れ、さらなる大冒険に出ることを決意することになる。

 この彼女の物語はもちろん、フェミニズム的なストーリーとして読み解けるだろう。社会的な地位を得ている一方で会社や家族に抑圧される女性が、自分の意思で女性的とはされない冒険という領域に飛び出していく物語なのだ。

ふたつの時代をプレイする

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 シリーズの過去作はそんな彼女のかなり空想的な冒険を描く作品だった。彼女はそこで、生きているマンモスを追いかけたり、派手な大冒険を繰り広げる。

 一方で『Syberia: The World Before』はかなり地に足のついた物語になっていて、現実に近い歴史が語られていく。本作では、プレイヤーは第二次世界大戦の渦中を生きることになるダナ・ローズと、シリーズの主人公ケイト・ウォーカーの二人を操作しながら、この歴史に迫っていくことになる。

 必然的にそれは暗い物語にもなっていく。ゲームを始めるとプレイヤーはまずダナを操作してチュートリアルを受けることになる。劇中の時間は1930年代後半で、この時点でヴァゲル人への人種差別が高まりつつあり、ヴァゲル人が運営する商店が襲われたりしている様子が描かれる。明らかにこれは、欧州におけるユダヤ人への迫害の歴史がベースになっている描写だ。

 一方、もう一人の主人公で2004年を生きるケイトはゲームの開始時、謎の組織に捕まっていて、謎の坑道で、謎の強制労働をさせられている(ちなみに冒頭以外でこの謎の組織はほぼ話に絡まない。これは前作のクリフハンガーをうけてのことだけど、いったいなんだったんだ)。

 ケイトは監獄のようなところに閉じ込められていて、外部との交信も許されず、体調も明らかに悪そうだ。ただ、ケイトには仲間がいた。それが同じ房で暮らすカチューシャだ。

 ケイトはカチューシャと恋人ともとれる親密な関係で、なんとか二人で力を合わせて過酷な環境に耐えていた。ここでの二人の描写は、困難な状況の中で人が結びつく様子を描いていて、力強くまた同時にロマンティックでとても素敵だった。

 そんなある日、二人は坑道の中の脆くなっている壁を偶然にも見つけ、脱出に成功する。その先で彼女たちはブラウンシャドウが略奪した財産を満載した列車に遭遇し、財宝の中に主人公にそっくりの女性を描いた肖像画があるのを発見する。

 けれど、そこから逃げ出そうとした時、カチューシャは彼女たちを強制労働させていた組織の人間に撃たれてしまう。カチューシャは、ケイトに生きる目的を与えようと、肖像画の女性の正体を探る旅に出てほしいと彼女に伝え、息絶える。

 一人残されたケイトは、カチューシャの残した言葉を頼りに、必死に生きようとする。というのが本作の物語の始まりだ。

マイノリティが死ぬということ

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 この冒頭は、ある意味で「冷蔵庫の女」だ。冷蔵庫の女とは、1999年にコミックファンのフェミニストによって提唱された概念で、男性主人公の成長や物語のきっかけのために、親しい女性が殺されるプロットを指す言葉だ。ケイトは女性だけど、カチューシャはレズビアンで活動家であることが後に明かされる。

 死んでしまった彼女とケイトのやり取りを新しく見ることはできない。カチューシャは、本作の物語の中では徹底的に動機でしかないのだ。それはとても残念なことだった。

 一方、ケイトの物語はカチューシャを喪くしたことの重さが常に付きまとう。ケイトはカチューシャの死に耐えきれず、彼女の最後の言葉を頼りにギリギリ生きているだけなのだ。だからだろうか、作中のケイトは生き急いでいるようで、肖像画の女性の歴史を知るためなら、不法手段もためらわない。

 『Syberia: The World Before』はその意味では追悼についてのゲームなのだ、と私は思った。強制労働のような圧倒的な暴力の中での、誰にも知られないかもしれない死と記憶。それはどのように哀悼できるのだろうか。

 ケイトは肖像画の女性の過去を探る中で、民族虐殺に巻き込まれ、そしてレジスタンスに身を投じた女性、ダナ・ローズの記録されざる人生にふれていく。

 そこでは、ダナとカチューシャの人生が二重に重なり、マイノリティの、歴史から軽く扱われ抹消されるような属性の、それもただの市民を、どう記憶し哀悼するか、というテーマが浮かび上がってくる。

隠された歴史をたどる

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 ダナの人生を探る中で、ケイトはヴァゲンという街で起きた虐殺の歴史や、山岳で行われていたレジスタンス活動について学んでいくことになる。

 ケイトが探る歴史には、おおやけにされず隠されているものもある。明かされない理由は様々だ。個人的な感情や、社会的な差別がそこには入り混じっている。

 彼女と近しかった人には自分の行いへの後悔が理由で語れないことがあったりするし、ダナがイギリス軍でスパイとして働いていたようなことは、機密と女性差別の両方によって隠匿されている。

 ダナの歴史はケイトが活動する現在の時間軸で動的に語られていて、ダナの履歴は現在の人々に影響を与えている。彼女の存在は過去の中で静止しているわけではないのだ。

 だからだろうか、ゲームの中でプレイヤーは歴史を探す側と歴史の中で生きる側の両方をプレイすることになる。プレイヤーがケイトとしてダナの過去を探りつつ、同時に回想や記録の再現としてダナをプレイすることで歴史の想像を体験する。

 次第にケイトによって明らかにされていくダナの過去は、また差別と暴力の歴史だ。それは私たちの世界の第二次世界大戦の中で行使された暴力のように、ケイトの生きるこの世界に大きな影響を与えており、同時に暴力と差別の歴史は時に過去から消されようとしている。

 本作の中でブラウンシャドウとして語られるナチスの歴史は、その代表例だ。『検証 ナチスは「よいこと」もしたのか』(小野寺拓也・田野大輔、岩波書店、2023)では、出来事の文脈から一部だけを切り抜いて「よいこともしていた」と評価されることのあるナチスの事業が、どのような目的と結びついていたのかという文脈を改めて整理し、「よいこと」と言えるかを検証している。

 歴史を知るということは、人々の相互作用と文脈を確かめていく作業でもあり、それは現在の社会の中で行われ、検証されるべきものなのだろう。ゲームの中でもケイトはダナを知る複数の人に会い、ダナという人の歴史を組み立てていく。その過程では一人の人間がいくつもの異なる存在と共にあることが語られる。

死を哀悼する

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 ケイトにとってダナを知っていくことは歴史の探究であると同時に、亡くなったカチューシャから託されたものに必死に縋ることでもある。

 つまり、目の前で起きた死というどうしようもない出来事を受け入れるための現在進行形の苦闘が、本作で描かれる旅なのだ。

 思い出すことができる、ということ、あるいは誰かが思い出してくれる、ということ。自分の人生がやがて歴史というものの一端になること。

 マイノリティにとってそれらのことは時にリアルに感じられない。なぜなら歴史の本に自分と同じような人間を探すのはとても難しいからだ。

 だからカチューシャのような、レズビアン活動家であり、犯罪に巻き込まれ強制労働をさせられていたような人間の死を、この社会の中で受け止めるには、特別な手段が必要になるのかもしれない。

 クィア理論家のジュディス・バトラーは人種差別の中で、哀悼可能性が差別的に分配されていることを指摘する。哀悼できるものと哀悼できないものが区別され、それは暴力を正当化する。

 今も世界各地で国家的な、制度による暴力は発動し続けており、政府広報は哀悼可能なものとそうでないものの区別を伝えようとしてきている。

 バトラーは人間が、人間以外の他者もふくめてさまざまな存在と相互依存していることを説くが、本作でもダナの歴史が人間以外の他者(やや人間中心的ではあるものの途中でほんとうに驚くべき人間以外の存在にかんする展開がある)もふくめた相互関係の中にあることが語れていく。

 死と記憶と歴史と、組織的な暴力を描く本作をプレイしながら、私は今も起き続けるこの哀悼と暴力の関係を考えずにはいられなかった。

 忘れられていく歴史や、その周辺の人物を辿ることが追悼になる、という考えが『Syberia: The World Before』根底にあるのだろう。

家族をたどる

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 本作はまた、家族やルーツに関する物語でもある。お察しの通り、主人公ケイトにそっくりなダナは、ケイトの親族なのだ。

 また、ゲーム中ではケイトが自分の家族と向き合うことの葛藤が度々描かれる。ケイトは姉に、冒険に夢中で家族の死に目に会えなかったことを、電話を通して責められる。

 それはケイトにとっても大きな後悔だ。さらにまた、ケイトは今までのシリーズでの冒険の結果、アメリカに帰れば逮捕されるような状況に置かれてもいた。姉はそれでも家族なのだから帰ってこい、と主張する。

 家族という課題をどうするのか? という問いを避けるように、ケイトは探索に没頭していく。けれど、ダナに関することの答えを得たケイトは、最後には家族に向き合うことになる。

 本作はそこで、家族に回帰して家族を受け入れるという答えを出さない。むしろ、エゴイスティックな冒険を女性が生きることを許容するようなラストを迎える。

 私はそれがとても好きだった。歴史の中にあるつながりと家族のつながり、どちらも過去に指向するつながりだが、ケイトはそれを受け入れた上で、新しい旅立ちを選択する。家に入る圧力を受けやすい女性の物語として、鮮烈なラストだった。

 ある意味でそれはケイトが、家族を核とするコミュニティに頼らなくても生きていける立場にあるからできる選択でもある。家族を中心にした世界を選ばざるをえない理由はさまざまで、家族を選ぶことが単純に悪いことではない。

 けれど、ケイトが次もまた自分で選んだ仲間たちと旅に出るという選択をしてくれたことは、家族の重力が重いからこそ、私には輝いてみえた。

 『Syberia: The World Before』は歴史を探究する人をプレイするゲームだ。

 なぜ歴史を探るのか、そこにどんな意味があるのか、どうやって死という出来事を受け入れられるのか、そんなことを考えながらゲームが提供する謎を解き明かしていってほしい。

これからプレイする人向けのポイント解説

・本作はPS5/XBOX/Steam向けに販売中。Siwitch版も開発中というニュースはあったもののまだ販売されてはいない様子。美しいグラフィックと引き換えにかなり重いゲームになっているが、Steamでは無料のデモ版も配信されているので自分のパソコンで動かせるか試すことができる。
・本作には反射神経を試されるようなアクション要素はないものの、謎解きはやや高難易度。
・謎解きにつまっているとゲージがたまり、上矢印キーでヒントが表示される。ヒントは何段階かにわけて出されて、だんだんと答えに近づいていく。
・ただそれでも総当たりのようにならざるをえない場面も多数ある。わからなかったらプレイ動画とかで答えをさっさと確認しちゃうのも手。
・ゲームの操作はカメラが固定されていて、その中でキャラクターを動かす独特の操作。ゲーム界ではラジコン操作と俗に呼ばれるタイプのもので、慣れるまでちょっと苦労するかも。
・アイテムはアイテム画面から操作することができる。アイテム自体に変形するギミックがあったり、アイテムを組み合わせることができたり、裏側に隠されたものがあったりする場合も。
・「はじめから」を選ぶとプレイしてたデータが消えてしまう! 注意!! 

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