記録を消しながら記憶たどるトランス女性の『If Found…』をやってみた

文=近藤銀河
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 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』には、ブラックホールのようなベーグルが出てくる。その真っ暗なベーグルの表面には世界がトッピングされていて、中心の穴には全てを飲み込む虚無がある。

 それがなにを表すのかについてはいろいろな読みがあるけど、ベーグルを作ったレズビアンのキャラクター、ジョブ・トゥパキが抱く絶望が表されているように私には思えた。彼女のクィア性は家父長制的な家族から歓迎されておらず、それが彼女の絶望の一つになっている。

 私は映画に出てくる、このベーグルに深く共感した。社会におけるマイノリティの抑圧とそこからくる苦しみ。そこには性差別もあるし人種差別もあれば、障がい者差別もある。差別から生まれる苦しみは、ほとんど世界すべてを飲み込むかのように思えるときがある。

 ゲーム『If Found…』にも、マイノリティが抱える絶望の象徴としてブラックホールが登場する。ブラックホールの作り手は、主人公のトランス女性のカシオだ。ゲームは彼女の苦しみと癒しを、ブラックホールを用いて表現する。

 全ての情報と記録を飲み干し、外に出さない重力の塊であるブラックホール。ゲームはそれを個人の日記と、雨風をしのぎ人を捉える家と結びつける。

 『If Found…』は決して心穏やかに遊べる作品ではなく、むしろとても辛いゲームだけど、トランスの重要な経験を描いている。

消しゴムで日記を消す

 『If Found…』は日記とスケッチを組み合わせたような見た目のビジュアルノベルゲームだ。色紙の上のラフなスケッチやコピーアンドペーストされて模様のようになったイラストなど、その雰囲気は個人で作る出版物のZineに近い印象がある。

 特徴的なのはプレイヤーが操作するものが消しゴムであることだ。プレイヤーは消しゴムを動かして、書かれているものを消していくことになる。

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 日記を消すことでページが進み、スケッチを消すことで場面が進む。プレイヤーにできるのはゴシゴシと記録を消していくことだけだ。

 語られるのはトランス女性の主人公カシオの物語だ。

 舞台は1993年のアイルランドのアキル島。ゲームの中にはアイルランドのローカルなカルチャーが織り交ぜられていて、専門的な用語には注釈がついている。

 この固有な舞台設定は、普遍的ではないスペシフィックな時空を強調していてとてもよかった。カシオの人生はカシオのものであり、その特有さは、マイノリティの物語が普遍化されることに抵抗している。

 カシオは宇宙論の分野で修士号を取得しており、博士進学を目指そうとしている。でも、そのために実家に帰ってきたカシオは家族と進学をめぐって対立してしまい、その上家族はカシオのアイデンティティを尊重しない。カシオの母と弟は、本人が使いたくない名前でトランスの人をよぶ「デッドネーミング」という行為を繰り返すし、カシオに女性との結婚を求める。

 ただ幸いにもカシオには頼る先があったし、頼ることができた。実家に耐えきれなくなったカシオは、友達のコラムが暮らすビッグハウスという家を訪れる。

 コラムはこの家で同性の恋人のジャックと、まだ若いシャンズの三人でバンド活動を行っていた。ビッグハウスはほとんど廃屋なのだけど、三人の秘密基地なのだ。

 こうして四人の共同生活がはじまる。その様子は少し、うらやましくもある。シェルターでの避難生活は困難も多いだろうが、それはそんな暮らしがあったらいいと思える瑞々しさに満ちている。

 一方、消しゴムを持って日記を消していくというシステムによって、この暮らしとカシオのこれからに暗い未来があることを感じさせる。

 安穏とした日常の不安定さは、私もよく知っている。日常の中にある差別は耐え難いものだ。それがいつ自分に向けられるかもわからない中で暮らすことは、とても恐ろしい。

現実と折り重なるもう一つの物語

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 『If Found…』では、カシオの物語と並行して、カシオが書いているらしきもう一つの劇中劇が展開していく。

 それは、地球に危機をもたらすブラックホールに飛び込んだ宇宙飛行士の女性カシオペアと、管制官の男性が繰り広げるSF物語だ。

 巨大化したブラックホールが地球を飲み込もうとしているが、カシオペア以外はそのことに気づいていない。カシオペアはブラックホールに乗り込み、原因の調査を開始する。カシオペアの行動を知っているのは、偶然にも通信がつながった管制官という人物だけだ。

 このブラックホールをめぐる物語は、カシオの日記の内容に呼応して進んでいく。ブラックホールはだんだんと脅威を増し、地球だけでなく宇宙全体が危機に晒される。

一方的に理解して読み解くこと

 カシオのコラム、ジャック、そしてシャンズとの暮らしは終盤になるにつれ次第に揺らいでいく。

 カシオは三人の中でも特にシャンズと仲を深めていく。二人は自分の名前を自分で決めることついて語り合ったり、二人でカシオの実家に忍び込んで荷物をとってきたりする。

 しかし、ある時にシャンズとカシオの間に、近づきすぎた故の亀裂が入っていく。

 シャンズはカシオに自分を重ね自分はカシオと「同じ」だと語り、好意を告げる。けれど、シャンズの言う「同じ」というものがなにであるのか、カシオにはわからない。そしてまた、カシオは恋愛に懐疑的な立場をとっている。

 理解や共感は、ときに人を深く傷つける。カシオはこの時点でシャンズに自身のセクシュアリティやジェンダーについて深く話していたわけではない。それにもかかわらず、シャンズはそれを読み取ったかのように、カシオを”理解”してみせる。そしてシャンズはなにを理解したのかをハッキリと口に出せない。

 トランスジェンダーが立たさせられる脆弱な生の基盤を、このエピソードは表している。一方的に語っていないことを読み取られ、同時にそれを語ることは封じられる。そのようにしてクローゼットな状態がとても危ないものとして形成されてしまう。

 カシオは自身のありように悩みを抱えているけど、そうしたカシオの不安定さを拡大していくのは、他者からの勝手な読解だ。

 カシオもまたシャンズを一方的に拒絶し、シャンズは家を去る。

 ブラックホールの危機は拡大していく。

安全な家を求めて

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 『If Found…』にはいくつかの家が登場する。

 もっとも登場するのがカシオたちが暮らしていた廃屋のビッグハウスだ。このビッグハウスは家でありシェルターでもある。カシオは実家にいることができなくなり、そこに逃げ込んだ。ビッグハウスは雨漏りがあるし、家としての物理的な機能を失いかけているけど、人を匿ってくれる。

 ただビッグハウスがさらされている脅威は、雨風だけではない。外からは廃屋の不法占拠として警察権力からも圧力を受けているし、内側でも人が集まることによって起きる摩擦が発生している。

 もう一つ、逃げ場になる家がコラムのおばであるマギーの家だ。マギーは独身のまま生きている60代の女性で、少し保守的ながらも、カシオの孤独を理解しコラムたちと共に家に招きいれる。

 マギーもなんらかのマイノリティで、周囲からすこし変人と思われている面もある。マギーのような生き延びたマイノリティの存在は、当事者にとって大事なものだ。

 またマギーはキリスト教コミュニティに深くかかわっている。ゲームの中ではキリスト教コミュニティと地域コミュニティの密接なかかわりが描かれるが、そうしたコミュニティの中に自分を尊重してくれる人がいることは重要だ。

 地域的コミュニティや血縁的コミュニティ、宗教的コミュニティは本作の中で重要な役割を果たしている。舞台がアイルランドの小さな島であることで、コミュニティの存在感はより強調されている。そこではコミュニティの身近さが描かれ、コミュニティが簡単に縁を切れるものではないことが示される。だからこそ、コミュニティの中にマイノリティを尊重する人がいてほしいと願うし、このゲームでは願いを実現して描く。

 もう一つ本作に登場する家が、カシオの実家だ。カシオの家族は彼女を尊重せず、カシオの今ではなくカシオの過去だけをみつめている。そのことが彼女を徹底的に追い詰めていく。

 ゲームは家やコミュニティの近しさを描くけど、一番初めに人が触れる家が安全ではないことを知っていくのはとても辛い。あらかじめ用意されてあるはずの場所が、居場所ではないことは厳しい。

 カシオは物語の終盤で家族からさらなる拒絶をうけ、彼女の精神の危機が頂点に達すると、劇中劇であるSF物語の中でもの中でもブラックホールが広がっていき全てが飲み込まれていく。

 このブラックホールによる世界の消滅は、プレイヤーが操作してきた消しゴムと重なる。プレイヤーは自らの手で記録を消していき、世界を消していく。このパートはとても辛いけど、同時に大事な場面だ。

記録を消すことで生まれるクィアな時間

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 日記を消すことで進行するこのゲームシステムは、物語全体になんとも言えない不穏さを与えてい

 でもそれはただ忘却することだけを意味しているのではない、と私はプレイしながら感じた。プレイヤーは記録を消していきながら、それによって記録をたどって物語を読みとっていく。

 忘れることと、思い出すことが『If Found…』では一体になっているのだ。

 まさにこれはブラックホールと同じだ。ブラックホールは、自重に耐えきれなくなり崩壊した星が、強力な重力を持つことによって発生する。ブラックホールはすべてを飲み尽くし、一度入っていった情報は外に出てこないけど、内部には膨大なエネルギーが存在する。

 またSF作品ではブラックホールはワームホールによって他の場所と繋がっていて、逆に情報を吐き出す出口がその先にある、というふうに語られることも多い。ゲームの中でもカシオペアのストーリーでは彼女はワームホールをくぐりぬけることになる。

 つまり本作のなかで記録の消去や、それと関連させられているブラックホールによる世界の終焉は、単にそれがなくなることを意味しない。記録を消していく作業はむしろ記憶を思い起こさせる作業であり、別の場所へ移行する準備ともいえる。

 五月あかりと周司あきらによる『埋没した世界――トランスジェンダーふたりの往復書簡』(明石書房、2022年)の中で性別移行が島から島への移動として比喩的に語られている。本作ではそれはブラックホールとワームホールという比喩によって、記憶と結びつけられ、ある記憶から別の記憶へと移行していく瞬間に焦点が当てられている。

 トランスジェンダーにとって過去を扱うことは難しいことがある。ゲームの中でカシオの家族たちはカシオの過去しか見ない。家族は今のこうあるカシオの向こうにある過去の、こうあったカシオを見続けている。でもカシオが必要としているのは今の自分の在り方だ。

 過去の自分は今の自分とは異なり、その記憶の中の自分はもはや今の自分と遠いところにあることがある。

 だから、クィアな過去は時に、一時的で断片的でもある。それは常に、今生成される今から見た過去という政治性を投げかける。

 クィアな記録はそもそも抹消されており、それゆえにクィアな記憶は、時系列に流れていて確固として存在するふりをする歴史に疑義を呈する。

 カシオの記録を消していきながら、プレイヤーがカシオと共有していく一時的な時間は、時系列にそって進むけどその端から断片化されていくダイナミックな時間なのだ。それは苦しい体験だけど、本作はその苦しさに真っ向から取り組みつつ、苦しさの先にあるクィアな記憶と移動をあらわしている。

書き記すという希望

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 ワームホールをたどってカシオは最終的にどこへたどり着くのだろうか。カシオの物語は特に終盤あたりから本当に絶望的になっていく。母親から拒絶されたカシオは、誰もいなくなり、完全に廃屋となって誰もいなくなったビッグハウスへ戻り、日に日に衰弱していく。

 でも、カシオの物語は絶望では終わらず、救済がある。ここでは詳細を避けるが、最後にはハッピーエンドが待っている。カシオはカシオとして生きていくのだ!

 危機を乗り越えた後、プレイヤーは消しゴムの代わりにペンを持つことになる。今度は、記録を消していくのではなく、記録を書き綴っていくゲームプレイがはじまる。

 それは本当に希望に満ちた鮮烈でみずみずしい表現だ。つらく、くるしく、自分を他人から自分として扱われない日々が終わり、自身のアイデンティティが尊重される時空がその先にある。

 ゲームのラストであるこのパートでは、1993年の後のカシオたちが断片的に描写されていく。コラムは別の人と結婚するし(このパートでは本作に選択肢が初めて登場し、結婚について家父長制的だと批判してみることも、羨ましがることもできる。選択できるとは楽しいことだ)、シャンズはノンバイナリーとして活動する。マギーは自分がかつて思いを寄せていた女性の話を聞かせてくれる。

 消去によって断片化されながら生まれる過去に対して、ここでは記録することで生成される断片的な未来が示されている。

 特に好きだったのがキャラメイクの場面だ。カシオの今の姿のスケッチを描く場面がある。普通のキャラメイクみたいに、髪の毛や目の雰囲気を選んだりできる。

 そう、このゲームでは普通はゲームの最初にあるキャラメイクが、ゲームの最後にやってくるのだ。これはとても素敵なアイデアだと思った。自分をつくり、自分を限られた選択肢から選び出す。そんなゲームでは当たり前のことが、このゲームでは数多くのことを潜り抜けたあとにやってくる。それはとてもトランスな体験だ。

 キャラメイクでは、つくったカシオのスケッチの背景にレインボーフラッグとかトランスフラッグを描くことができる。この時にトランスフラッグを掲げると、実績(ゲームで特定の行動をとると取得できるもの。プラットフォームのシステムと結びついていて取得した実績は共有できる)が取れるのも嬉しい。

 消していく行為から描く行為にダイナミックに移行し、過去ではない未来が記されていく。それが、自身のアイデンティティを周囲から尊重されない苦しみから、自分で自分の姿を作り上げることと結びつけられ、最後には自画像をトランスフラッグをプライドとともに掲げる。

 カシオの背景に描かれるトランスフラッグにはすこし涙が流れた。

家族をめぐる幻想

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 最後に少しだけ家族について書いてみたい。

 『If Found…』では、本稿の冒頭でふれた映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と同様に、母親と娘の和解が描かれる。クィアなブラックホールは家族の縁を断ち切らない。暗黒に飲まれた中から、カシオの母はカシオを見つけ出し、カシオは危機を脱する。

 家族との和解はなぜ描かれるのだろうか。私はどちらかと言えば、それが救いになるとは思えない立場だ。ゲームで描かれるように親からの愛はときに暴力の言い訳になる。

 家族や血縁は、特に日本社会では重い鎖になりがちだ。天皇を頂点として編成されてしまった日本の家族制度は、女性差別やクィアに対する差別の大きな原因の一つもなっている。

 一方で、こうした家族との和解を描く作品は家族への幻想を実現させることの重要性を語っているようだ。マイノリティにとって、差別を受ける人にとって、家族からの承認はときに得がたい。また残念ながら家族からの支援の有無は、進路に大きな影響を与えもする。現在の社会の中で家族は簡単に引きはがせない。

 特に本作では母と娘の和解と承認の瞬間はとても輝いているものとして描かれている。得ることが簡単にはできないからこそ、それは幻想として人を慰めるのかもしれない。

 その時には、家族はなにか家族ではないものとしても結び直され、新しい共同体を築く可能性があるのだろうか。

 実際に『If Found…』は二つのやり方でそれを描いている。一つはカシオペアの物語だ。カシオペアは最後、ブラックホールから抜き取った情報をもとに、ブラックホールの発生源とみられる少女の元に向かう。

 カシオペアはカシオの想像上のヒーローでありもう一人のカシオではあるが、同時にカシオペアはカシオによる母の想像であり、そこには母に正しく扱われたいというカシオの願いが込められている、とも読めるだろう。母と娘の複雑でやっかいな二重性がここにはありつつ、また家族という縁のないところで再び関わる可能性も示されている。

 もう一つはカシオたちのその後の姿だ。ゲームのラストでボーナストラックみたいにビッグハウスを中心にかかわりあったみんなの未来が少しだけ描かれる。そこではゲームに出てきたキャラクターたちがビッグハウスという共同体を離れた後に、それぞれが辿ったときにクィアだったりするような人生が描かれていた。

 そこで語られるのは本編とは違い、むしろ家族や家と離れたところのある関係や、お互いの少し遠い他人としての距離だったりする。それぞれが独自の共同体の中にあり、もはや共同体を共有しないで関わる姿が描かれていく。

 地縁的、血縁的なコミュニティはクィアであることを中心にした関わりへと編み直されていた。カシオと家族の関わりもまたそうだ。カシオは受け入れられない家族とは離れ、母とは適度な距離を持って暮らしはじめる。

 「伝統的」な家族や家はクィアを受け入れられないかもしれないが、いちどクィアな存在を中に取り入れ変化した家族は、家族ではない新しい関係性の可能性を持ち得る。一度、家や家族について苦しみ潜り抜けたからこそ描ける、非家族的なつながりを『If Found…』のラストは描いているのだ。

これからプレイする人向けのポイント解説

・本作はSwitch/Steam/iOSで配信中。特に重いゲームではないので、多くのPCで動きそう。
・なにもおきない! となったらとりあえずゴシゴシ消してみると進むはず。
・場面によっては消すのではなく、絵をドラッグして巻物みたいに見る場面も。
・そういう時は特定の絵をドラッグして画面の中心に入れると進行する。
・日本語版のフォントがびっくりするくらいダサい! 翻訳もちょっと怪しいところも。

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