「ガウェインの結婚」を歴史の授業で使わないで!~中世の英文学と女性がもっとも望むこと

文=北村紗衣
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『中世騎士物語』(岩波書店)より

 2年ほど前に「世界史講義録」というウェブサイトの「最初の授業」という記事がバズったことがありました。これは高校世界史の授業初回で、アーサー王伝説の「ガウェインの結婚」をとりあげ、歴史は面白い……というような話の枕にするというものです。

 詳しくはリンク先の元記事を読んでいただきたいのですが、非常にざっくり説明すると、アーサー王が敵の騎士から「すべての女性がもっとも望むことは何か」という問いを出され、それの答えが「自分の意志を持つこと」だったという話をネタに、「700年から500年くらい前の時代につくられた物語」なのに既に女性の人権に関係するようなトピックを取り扱っていて現代的だ……という内容です。

 このウェブサイトの講義は、2009年発行の竹田青嗣『中学生からの哲学「超」入門』(筑摩書房)にも引用されており(pp. 175–182)、ここ15年ほど流布していてかなりよく知られているようです。

 中世のお話なのに現代の思想を考えるのに使えるいい話だ……みたいに受容されているのですが、実は私はこの話がバズった時から、文学や英語を教える英文学者としては中世の英文学作品がこういう文脈で歴史の授業で使われるのは困るし、ぶっちゃけやめてほしいと思っていました。というのも、もともとのお話は、少なくとも私の解釈では人権のお話ではないように思われるからです。この記事では、なぜこの話を歴史の授業でこういうふうに使わないでほしいのかを説明したいと思います。

「自分の意志を持つこと」?

 まず、このお話はどこからとられているか……と思って出典を見てみると、トマス・ブルフィンチの『中世騎士物語』(The Age of Chivalry)があげられています。この本は日本でもよく読まれている作品ですが、ブルフィンチは19世紀アメリカの作家です。『中世騎士物語』は1858年に刊行されました。原文は‘all women would have their will’ (Bulfinch, p. 88)となっています。岩波文庫の日本語訳はあまり忠実でないところもあるのですが、ここは「すべての女が自分の意志を持つ」(p. 72)ことを望むのだという原文どおりの訳になっています。

 まず、英文学者としてはここで警戒しないといけないところです。アーサー王に限らず、神話や民話の再話は原作に比べると相当に改変されているのが常です。シンデレラや白雪姫などのお話を考えるとわかると思いますが、今、本屋さんで売っている現代の絵本のバージョンは19世紀に出た『グリム童話集』にのっているシンデレラや白雪姫の話とは全然違いますし、さらにグリム兄弟のバージョンはそれより昔に語られていたバージョンとは違うはずです。

 私が専門としているシェイクスピアについても、シェイクスピアが書いた戯曲と、1807年にメアリとチャールズのラム姉弟が刊行した『シェイクスピア物語』はだいぶ違います。『シェイクスピア物語』を読んでシェイクスピアの時代の考え方を論じてはいけないように、19世紀に出た『中世騎士物語』を読んで中世の人の考え方を論じてはいけません。『中世騎士物語』は19世紀のブルフィンチがその当時の読者層に対して昔の物語を語り直したものですから、700年も前の人たちの考えではなく、せいぜい1世紀半くらい前の人たちの考え方を反映しているだけであるはずです。「700年から500年くらい前の時代」の考え方を知るには、ブルフィンチの元ネタにまでさかのぼらないといけないのです。

この話の元ネタは?

 それではブルフィンチの元ネタは何か……というと、おそらく直接の元ネタは「ガウェインの結婚」というバラッド(歌)です。18世紀にトマス・パーシーがまとめたバラッド集の中にあります。パーシーはアイルランドの聖職者で、古いバラッドをたくさん集めていました。手稿の状態だったものが1765年に初めて刊行されて、19世紀にも再版されています。

 バラッド「ガウェインの結婚」は欠落が多くてわかりにくいのですが、その中では女性が望むものについて‘a woman will haue her will, And this is all her cheef desire’(Reliques of Ancient English Poetry, vol. 3, p. 407)となっています。綴りがやや古いのでよくわかりませんが、日本語訳では「女は自分の思い通りに/振舞う事が一番の願いなのですよ」(境田訳105–106行目、上巻p. 48)となっています。

 ブルフィンチの英文は‘all women would have their will’、バラッドのほうは‘‘a woman will haue her will’(uは現代英語のvです)なので、そんなに違いませんが、翻訳は「自分の意志を持つ」と「自分の思い通りに振舞う」で、だいぶ印象が違います。「自分の意志を持つ」は主体的な人権の話みたいに聞こえますが、「自分の思い通りに振舞う」だとあまりそういう感じがなく、ちょっとわがままな感じもしますね。そして実はおそらく英文学の文脈では、後者のほうがもとの意味に近いと思われるのです。なぜそう思われるのか、さらに遡ってみましょう。

さらに遡る

 実はこのバラッドにはさらに古いと思われるバージョンがあります。現在オクスフォード大学が所蔵している16世紀の写本に入っている騎士道ロマンス「ガウェイン卿とラグネルの結婚」です。騎士道ロマンスというのはその名のとおり中世の騎士が登場し、その波瀾万丈な冒険や貴婦人との宮廷風恋愛などが語られる物語です。騎士道ロマンスである「ガウェイン卿とラグネルの結婚」もおそらく中世の作品だと思われます。

「ガウェイン卿とラグネルの結婚」に出てくる「すべての女性がもっとも望むこと」についての問いの答えは、‘We desyren of men above alle maner thyng / To have the sovereynté, withoute lesyng’ (Hahn, 422–423, p. 58)です。さらに綴りも単語も古くなったのでサッパリわからないと思いますが、日本語訳にすると「あたし達はね、他のどんなものよりも / 男たちを支配する力が欲しいんですよ」(玉川訳、p. 28)となります。

 ここでポイントになるのは‘sovereynté’、つまり現代英語で言うところの‘sovereignty’です。この単語のここでの意味は、オクスフォード英語辞典の2番の意味「権力、支配、地位における至高権。至上の支配権、権威、支配」です。さらにこの後の箇所で、 ‘To have the rewlle of the manlyest men, / And then ar they welle’ (Hahn, 471–472)「男の中の男を己が意のままにすることで、/ 彼女たちは幸福になる」(玉川訳、p. 29)とさらに説明があります。つまり、ここで女性の望むものとして提示されているのは、女性の主体性を認めようとか、カップル間で対等な関係を築こうとかいうようなことではなく、主に恋愛関係において男らしい恋人を支配することです。この線で行くと、「自分の意志を持つ」よりも「自分の思い通りに振舞う」のほうがより中世の意味に近いはずです。

バースの女房

 この騎士道ロマンスには他にもジョン・ガワーが14世紀末頃に書いた『恋する男の告解』に入っている「フローレントの話」などいろいろな古いバージョンがあるのですが、おそらく一番よく知られていてかつ比較的古いと思われるのが、ジェフリー・チョーサーが14世紀末くらいに書いたと思われる『カンタベリ物語』に入っている「バースの女房の話」です。このお話は700年前とはいきませんが、まあ書かれた時代からして600年くらい前の人の考えはある程度反映しているはずです。

『カンタベリ物語』はカンタベリに行くいろいろな巡礼者たちがそれぞれお話をするという構成です。巡礼者のひとりであるバースの女房ことアリスーンは5回も結婚しており、性欲も物欲も生命力も旺盛な強烈な女性です。アリスーンは当時流通していた女叩き系の本ばかり読んでいる学者の夫をぶん殴り、ケンカの末に仲直りして家庭の主導権を取り戻したという身の上話の後、アーサー王の宮廷で起きたという話を始めます。

 アリスーンが披露するお話はガウェインが主人公ではなく、アーサー王の宮廷にいる名前不明の騎士が主人公です。その騎士はレイプの罪で死刑宣告を受けますが、宮廷の貴婦人方の助命嘆願により、女が最も望むことは何かという問いに答えられれば命を助けてあげようと王妃から言われます。ここで答えとして提示されるのが‘Wommen desiren to have sovereynetee / As wel over hir housbond as hir love, / And for to been in maistrie hym above’ (‘The Wife of Bath’s Tale’, The Riverside Chaucer, 1038–1040)「ご婦人方は、恋人のみならず夫の上に立つ主権をもち、彼らを支配したいと望んでいます」(池上忠弘監訳、p. 298)です。やはり‘sovereignty’がキーワードとして出てきています。

 ここで問題なのは、語り手の位置づけです。アリスーンに関する解釈は研究者の間でも大きく分かれています。男性のミソジニーに対抗し、女性による支配を主張するアリスーンをフェミニスト的キャラクターと見なし、本作は当時の女叩き言説をからかっているのだと考える人がいる一方、あまりにも身勝手で男性に対して抑圧的に振る舞うバースの女房を女性のいろいろな悪い性質を集めたカリカチュアと見なし、この話じたいが一種の女叩きだと考える人もいます。デイヴィド・S・リードは、バースの女房は「常識的な人の言葉を使えば、ばかばかしくてグロテスクであり、アンチフェミニズムをごった混ぜにした作りもの」(p. 73)だと述べています。

 アリスーンがガミガミ悪女のカリカチュアだとすると、披露するお話における‘sovereignty’のくだりも、女性の主体性に関するお話ではなく、「女性は夫を尻に敷きたがるものである」という女叩きのお話として解釈できる可能性が出てきます。そもそもこのお話はなんで宮廷の貴婦人方が女性の敵であるはずのレイプ犯の命を助けようとするのかもあまりよくわからず、女性の支配力を高めることを主張する話にしては性暴力という女性抑圧を軽く扱っています。

 また、女性が「恋人のみならず夫の上に立つ主権」を欲しがるというのは、騎士が愛する貴婦人に際限なく献身する宮廷風恋愛の理想をアリスーンが庶民の結婚の文脈にも応用しようとしているということで、宮廷風恋愛を卑近なところに持ってきて面白おかしくからかうような意味もあるのかもしれません。

チョーサーは人を食ったようなユーモアが得意で、真面目な話をしているのかと思ったらなんかちょっとイヤミだったりバカにしていたりするような描写が出てきてクスっとおかしい……みたいなところもあり、イギリス式お笑いの元祖とも言えるような作家です。そう考えると、アリスーンのお話をストレートに受け取れないところがあります。少なくとも「バースの女房の話」は、女性の人権を訴えるお話とは確実には言いきれませんし、後続のいろいろなバージョンについても、夫を尻に敷きたがる女性を面白おかしく語る恐妻笑い話として解釈することは可能です。

 もちろん解釈は自由です。アリスーンをフェミニスト的キャラクターとして解釈しても全くかまいませんし、「ガウェインの結婚」のお話を男女間の平等の話として読むのも可能です。しかしながらもちろん全く反対の解釈も可能ですし、実際にこれは女叩き系の話だと考える人もいます。また、ひょっとすると当時の世間で流行っていた女叩きも女性のわがままも両方とも等しくバカげた人間の営みだということで、双方を笑っている作品なのかもしれません。

 これくらい解釈が割れそうな物語を、あまり古典テクストの文脈を押さえず19世紀頃の翻案だけ見て、中世の古い話なのに既に人権の話をしている……などと称揚するのは、文学作品を楽しみ、解釈するにあたってあまり適切とは言えない態度を広めることにつながると思います。とくに歴史の授業できちんと原典テクストを見ずにこうした歴史的文脈を押さえない話をするのは、文学のみならず歴史に向き合う態度としてもあまり教育的ではないでしょう。文学のテクストはとても複雑で解釈も割れることが多いものなのですから、それにふさわしい態度で扱ってほしいと思います。

 ……と、いうわけで、今回の連載は「最初の授業」というタイトルの記事を扱いましたが、実はこの記事はこの連載最後の記事になります。wezzyが今月で配信停止し、2024年3月で閉鎖されることになりました。2015年、まだ姉妹サイトのmessyだった頃からずっとみどりのクマのアイコンとともに90回以上続いている「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」も、これで終わりとなります。

 お別れは悲しいことですが、皆様にお会いでき、いろいろな記事を読んで頂けてとても嬉しく思っています。連載を始めた頃は私も駆け出しの研究者でしたが、その後何冊も本を出し、この連載も本になりましたし、今はどうしたわけか教授になってしまいました。ライターとしての私を育ててくださった編集の金子さんにはとても感謝しています。

 シェイクスピアの『冬物語』に‘Exit, pursued by a bear.’「クマに追われて退場」(3.3.57)という有名なト書きがありますが、私はみどりのクマと一緒にお客様にお礼をして堂々と退場したいと思います。カーテンの陰から、皆様が良い芝居、良い映画、良い読み物に出会い、良い社会を生み出せるよう祈っております。

※本原稿執筆にあたり、コメントを下さった杏林大学の高木眞佐子先生に深くお礼申し上げます。

参考文献

Bulfinch, Thomas, The Age of Chivalry, Boston, 1859.
Chaucer, Geoffrey The Riverside Chaucer, 3rd ed., gen. ed., Larry D Benson, Oxford University Press, 2008.
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Gower, John, Confessio Amantis, 2nd ed., vol. 1, Medieval Institute Publications, 2006.
Hahn, Thomas, ed., Sir Gawain: Eleven Romances and Tales, Medieval Institute Publications, 1995.
Laskaya, Anne, Chaucer’s Approach to Gender in the Canterbury Tales, Boydell & Brewer, 1995.
Niebrzydowski, Sue, ‘Monstrous Appetite and Belly Laughs: A Reconsideration of the Humour in The Weddyng of Syr Gawen and Dame Ragnell’, Arthurian Literature 27 (2009), 87–102.
Percy, Thomas, Reliques of Ancient English Poetry, vol. 3, London, 1841.
Reid, David S., ‘Crocodilian Humor: A Discussion of Chaucer’s Wife of Bath’, The Chaucer Review, 4.2 (1969); 73–89.
Shakespeare, William, The Winter’s Tale, Arden Shakespeare Third Series, ed. John Pitcher, Arden Shakespeare, 2017.
‘sovereignty, n.’, Oxford English Dictionary, Oxford University Press, July 2023, <https://doi.org/10.1093/OED/1078157269>.
Takagi Masako, ‘Malory in Japan’, Megan G. Leitch and Cory James Rushton, ed., A New Companion to Malory, Boydell & Brewer, 2019, 271–295.
Turner, Marion, The Wife of Bath: A Biography, Princeton University Press, 2023.

岡本広毅、小宮真樹子編『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか――変容する中世騎士道物語』みずき書林、2019。
境田進訳『パーシィ古英詩拾遺』全2巻、開文社、2007。
竹田青嗣『中学生からの哲学「超」入門――自分の意志を持つということ』筑摩書房、2009。
玉川明日美訳「試訳:中英語ロマンスThe Wedding of Sir Gawain and Dame Ragnelle」『立教レヴュー』48 (2019)、15–47。
チョーサー、ジェフリー『カンタベリ物語』池上忠弘監訳、悠書館、2021。
ブルフィンチ、トマス『中世騎士物語』野上弥生子訳、岩波文庫、1980。

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